はじめての別居生活【婚姻関係おわりのはじまり】

2021年6月22日

こんにちは、ダメ夫です。

妻と別居してから2年半が経ちました

はじめはすぐに戻って来るだろうと高をくくっていました。

というのは、別居を始めたのはそれなりの理由があったからです。

しかし現在も帰ってきていません。

一体何があったんでしょうか。

妻が出て行った日のこと、その前後についてを記事にしました。

この記事の内容

  • わたしの別居生活のはじまりについて
  • 別居からはじまる婚姻生活の変化について

別居のはじまり

妻は2019年の元日、2人の子どもを連れ、自分の実家に新年のあいさつに行きました。

その日、私は自分の実家に同じく年始のあいさつに出向いていました。

夕方帰宅すると、家にいたのは子ども2人だけでした。

その日の夜、義理の母から電話があり、妻の体調が悪いのでしばらくこちらで預かるとのことです。

私は了承しました。

妻はその少し前に婦人科の病気で入院し、手術を受けています

その影響からか、退院後も体調を悪そうにしていました。

元々妻は365日のうち、360日は何らかの体調不良をアピールする人です。
面倒くさいので、そういった会話や態度にはあまり関わらないようにしていました。

そうしたこともあって、義理の母が言う「体調不良」も不思議には思わなかったことを覚えています。

その時はそれが「別居のはじまり」との認識はまったくありませんでした。

その後の生活

その日から子ども2人とネコ、私との生活が始まりました。

子どもたち2人には、「お母さんは体調が悪いから少しの間、実家に厄介になる」と告げ、家事などの協力のお願いをしました。

冬休みが終わると長女の弁当作りが始まり、私の起床時間が早くなりました。

毎日のルーティーン

  • 長女の弁当作り
  • ネコの世話
  • 洗濯と風呂掃除
  • 不登校対策として、朝長男を学校へ送る
  • 自身の仕事
  • 家族の夕食の準備
  • 長男の習い事への送迎
  • 晩酌

大変でしたが期間限定だと思い、頑張ることにします。
不安だったはずの子どもたちですが、家事に対し協力的だったのですごく助かりました。
ありがたかったですね。

仕事の関係で出向

4月から別会社への出向が始まりました。

車で1時間弱の場所だったのですが、朝は早く6時には家を出ていました。

時間的に長男を中学に送っていくことができなくなりました。

長男は不登校の対策として、私が毎朝車で中学校の門まで送っていきました。
学校側との申し合わせで、相談室への登校に対応してもらっていたのです。

それが結果的に不登校を復活させることになってしまいました

G/W明けの初日、出向先で私の携帯に中学校から電話がありました。

「今日はまだ登校していませんが、大丈夫でしょうか?」

自宅までは40km離れているので、どうすることも出来ません。
出向先に迷惑をかけるわけにもいかず、じれったさだけが募りました。

帰宅後、長男と色々話をしながら、なんとか学校へ行くよう仕向けました。

それでも行ったり行かなかったりの日々が続きます。

その度、私の携帯に学校から問い合わせがあります。

そんなやり取りがひと月ほど続きました。

ひとり暮らしが始まる

ある日、長男の不登校をめぐり私との間にトラブルがありました。

その日から長男は児童相談所の管理下に置かれることになります。

家に帰ると中は真っ暗で、だれもいませんでした。

長男はともかく、長女とネコもいません。

長女の携帯に電話をしましたが出ません。

妻も同様です。

まあ、居場所の見当はついていたので、それほど心配はしませんでした。
果たして長女とネコは妻の実家に身を寄せていました。

長女からの連絡

一週間が経とうとする頃、長女からLINEで連絡がありました。

「もう少し母と一緒にいる」とのことです。

正直、寂しいという感情はありませんでしたね。

居場所がわかっていること、携帯でいつでも連絡がとれることでそう思ったのでしょう。

しばらく続く単身生活

長女の弁当作りや長男の習い事の送迎がなくなったので生活はずいぶん楽になりました。

以前と比べ、自分の時間が一気に増えます。

といっても特にやることがなく、晩酌を早めに始めるぐらいのことでした。

そうして毎日、自分のことだけを考えればいい日々が半年ほど続きました。

ある日届いた一通の封書

12月のある日、出向先から帰宅すると郵便受けに一通の封書がありました。

無機質な茶色い封筒には表と裏に切手がびっしり貼り付けてあり、異様な感じです。
差出元は家裁からでした。

それを見て、内容に関してはすぐにピンときました。
同時に「まさか」と思ったことも事実です。

封を開け、中身を確認しました。
予感していた通り「離婚調停の案内」でした。

その時の様子は別記事をお読みください。
調停離婚【将来を誓い合ったはずの二人に重くのしかかる現実】

その日から時間があればネットで「調停」について調べました。

「自分を守らなきゃいけない」、と同時に「なんで?」という気持ちがわきあがりました。

まさか妻に訴えられることになるとは夢にも思わなかったものですから。

あとがき

別居をはじめたその日から、婚姻関係の終わりへのカウントダウンが始まっていたのです。

妻はそれなりの覚悟をもって別居に臨んだのでしょう。

ただ、長男の一時保護事件がなければどうなっていたでしょうか?
そこは気になるところです。

今日現在、妻との婚姻関係は続いています。
まあ、いつ終わっても不思議ではないですけどね。

今のところ、妻側からの動きはありません。

子ども2人とネコは妻と一緒にいます。

もう昔のように家族4人で過ごすことはないんだろうな。

最近はそれを強く思うようになりました。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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