こんにちは、ダメ夫です。
私の長男は中学2年の6月、児童相談所に「一時保護」されました。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
実際に「一時保護」に至るまでには様々な要因がありました。
今回は私の長男がどのようにして児童相談所の管理下に置かれることになったのか。
その辺りを記事にしました。
この記事の内容
- 一時保護になったきっかけ
- 一時保護への流れ
- 児童相談所からの通達方法
- 長男のその後
長男とのトラブル一時保護への序章
ある日私は、長男の不登校をめぐって親子間のトラブルがありました。
端的にいえば、「手を上げた」ということです。
理由や動機についてはここでは触れません。
どんな理由があったにしろ、あの日私が長男に対して行った行為は決して正当化されるものではありません。
暴力は絶対にいけません。
それが、そのことが当時の自分にはわからなかったのです。
その後、長い時間をかけ、私は自分の愚かさを痛感することになります。
そのトラブルの翌日、たまたま長男は子ども相談センター(児童相談所)にてカウンセリングを受ける予定でした。
目的は不登校についての相談。
不登校については私たち夫婦にとって、大きな心配ごとのひとつでした。
少しでもいい方向に向くようにと、藁にもすがるつもりで公的機関に助けを求めたのです。
その日、学校を早退させ、別居中の妻が長男を「子ども相談センター」へ連れて行きました。
しかしその面談の中で、長男は前日に起きた私とのトラブルを話したのです。
警察からの連絡
その日、私は仕事でした。
休憩時間にふと携帯を見たら同じ電話番号から数件の着信がありました。
下4桁が”0110”だったので、警察?と思いました。
調べてみると、やはり地域の警察署の代表電話番号でした。
折り返し電話をしたところ、長男とのトラブルについて聞きたいことがあるので、本日中に警察署へ出向いて欲しいとのことです。
仕事帰りで構わないとのことでしたので、その時はあまり深刻に考えていませんでした。
警察署での取調べ
警察署に到着し、「生活安全課」の担当者に取次ぎを求めます。
ほどなくして担当者が現れ、2階の部屋に案内されました。
その部屋というのは、刑事ドラマでよく見る「取調室」でした。
入り口から離れた窓際の席に座らされ、警察官による聞き取りを受けました。
ものすごい圧迫感があったことを覚えています。
聞き取りの内容は、長男から聞いたことが事実であるかどうかの確認です。
私はおおむね、自分の行為を認めました。
警察官によるお叱りを受けます。
その後、署長に宛てた「上申書」なるものを記入することになりました。
いわゆる、”始末書”と思っていただいて結構です。
A4サイズの白紙と削ったばかりの鉛筆を渡されました。
全て自筆で記入します。
内容は①自分がとった行動、②反省の弁、③同じ過ちを犯さない誓約
だいたい、このようなものだったと思います。
文章の構成については警察官が言った通りのことを一言づつ書き記していきます。
最後に日付、署名、指印をして終了となりました。
児童相談所からの通達
上申書の記入が終了すると間もなく年配の男女が部屋に入ってきました。
二人は自分たちの自己紹介と身分証明の提示を行います。
「子ども相談センター」の職員と名乗るその二人は私に1枚の紙を突きつけました。
「一時保護決定通知書」
?????でした。
「一時保護」という言葉はもちろん知っています。
しかし普通の暮らしをしている私たちにとってはどこか遠い世界の話だと思っていました。
そんな私の困惑をよそに、女性の職員がまくしたてるように説明をします。
途中で口を挟まさせないよう早口で、自分の言いたいことだけを一方的に話します。
まるでワイドショーのコメンテーターのようでした。
それとは対照的に、上司とみられる男性職員は終始無言でした。
内容は頭に入ってきません。
自分が当事者であると理解するためには、少し時間が必要だったのです。
とりあえず、法律に基づき長男を私の元から離す、ということは辛うじて理解できました。
その日はそれで帰宅となりました。
家に帰ると真っ暗で、別居中の妻は別として、いるはずの高校2年の長女とネコがいません。
長女の携帯に電話してもつながりません。
後で聞いた話ですが、その日は私が暴れる可能性があるので、警察から別の場所で過ごすのが良いだろうと言われたそうです。
結果的にその日から長女も長男もネコも帰ってきていません。
長男のその後
一時保護から一ヶ月が過ぎるころ、長男の身柄は一時保護施設から児童心理治療施設へ変更になりました。
その後、その施設で約1年半の間、身を置くことになるわけです。
長男の様子については月に1度の面談の際に職員から聞くことができました。
しかし、高校受験を控えた中学3年の12月に退所することになります。
3学期だけ元の中学校とは別の市内の中学校へ通いました。
どのようにして施設を出ることができたのか、は別の記事で紹介しています。
【児童相談所】子どもを取り返すために【長男の解放】
生活の拠点は妻の実家です。
公立高校の入試に無事合格し、今年の春から高校生として新しい生活を送っています。
長男が施設を退所してからは児相との面談は一切なくなりました。
したがって、様子を知ることはできません。
こちらから児相に長男の様子を聞いてみました。
そこで、高校生になったことを知った次第です。
ちなみに長男とは一時保護から約1年後に会ったきりです。
あとがき
「一時保護」って簡単になるものだと驚いています。
一回目は警告、といったことも無く、いきなりレッドカードを突きつけられました。
決して他人事ではありません、決定されれば言い訳の余地もなく、簡単に覆ることはありません。
「何もそこまでしなくても・・・」というのが本音です。
私は大げさな対応だと考えましたが、子ども相談センターはそう思わないようです。
昨今、親による子ども虐待の事件で、度々行政側の対応が問われる場面があります。
そういった意味では慎重にならざるを得ないのでしょう。
つまり自分と子ども相談センターの考えには大きな「温度差」があったということです。
皆さんも子どものしつけには十分お気を付けください。
子ども相談所が間に入ると家族関係に亀裂が入ります。
そうなれば、元の暮らしに戻ることはおそらく無い、といっていいでしょう。
私のように。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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【児童相談所】ある日突然の一時保護【その後はどうなる?】
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